History 日泉化学の歴史

History

日泉化学の歴史

創業以来、未来に向けて変革を続ける。
社会変化を捉え、進化し続ける使命を胸に、私たちは前進します。

History創業からの68年間

合成樹脂部門への進出と、
日泉化学工業株式会社の設立

一宮工務店は、合成樹脂部門への進出を決意。昭和31年6月、新居浜市新田町に約5000平方メートルの土地を購入。塩化ビニル樹脂の精製加工工場を建設した。工場建設に伴い同工務店は樹脂部を解消し、独立会社組織とし、昭和32年7月31日日泉化学工業株式会社を設立した。 なお、平成3年8月社名を日泉化学株式会社に変更した。

合成樹脂部門への進出と、日泉化学工業株式会社の設立
原料製造から加工販売へ

原料製造から加工販売へ

日泉化学工業は設立当初、塩化ビニル樹脂の原料を製造販売していたが、加工事業分野にも進出。塩化ビニル樹脂フィルムを中心としたシート・袋・雨カッパ・ふろしきなどの製造販売に移行していった。 その後、高付加価値の次期主力製品を塩化ビニル樹脂の床材とし開発に力を入れた。

ニッセンタイルの生産

塩化ビニル樹脂の床材は「ニッセンタイル」と名付けられた。従来のリノリウムの床材に対し、劣化や耐薬品性に強く、また摩耗しにくく、外見も良好なため本格生産を開始した昭和34年3月からは、需要が全国的に広がった。昭和37年1月には各種の色彩を加えた「ニッセンタイルハイカラー」を販売、カラー時代の波に乗り全国の特約店は積極的にこれを扱うようになった。

ニッセンタイルの生産
塩化ビニル樹脂に勝るポリエチレン

塩化ビニル樹脂に勝るポリエチレン

昭和33年住友化学工業株式会社は大江製造所でわが国初のポリエチレン製造を開始し、爆発的需要をもたらした。住友化学工業株式会社は、日泉化学工業の塩化ビニル樹脂リサイクルの実績を高く評価し、日泉化学工業に規格外ポリエチレンを供給した。精製加工されたポリエチレンは用途別グレードに分け、日泉化学工業のブランドで販売された。また、ポリエチレンの成形加工分野に乗り出しインフレーションの成形機5基を設置。シート、フィルムの生産を開始した。

東京営業所開設

昭和38年、神田小川町の丹波ビルに東京営業所を開設。昭和41年12月、事業規模拡大に伴い、中央区日本橋本町の本三ビルに移転した。東京営業所は販売の主業務の他に、中央諸官庁・諸団体との連絡用務や情報受発信基地としての役割も持っている。

東京営業所開設
千葉工場の設立

千葉工場の設立

住友千葉化学工業株式会社の建設に伴って、日泉化学工業は住友化学工業株式会社の強雨要請に応じて、精製加工技術を基にし千葉県に進出。関東地区の拠点構築を図り、昭和42年7月千葉県津郡富来田町真里(現・木更津市真里)に千葉工場を設立した。

化学肥料製造事業へ進出

日泉化学工業は、住友化学工業株式会社から化学肥料の委託生産を要請され、大洲市多田字岩黒に敷地面積9000平方メートル、建物面積2500平方メートルの大洲工場を昭和51年4月に設立した、緩効性窒素室肥料製造設備・液体肥料製造設備があり、昭和5年10月から生産を開始した。肥料の販売は政府の規制が厳しく、昭和5年7月から肥料価格安定等臨時措置法の施行で、化学肥料も特定肥料として法の対象の肥料となった。価格は政府の監督下に置かれ、生産業者、販売業者が協議決定することになった。大洲工場で生産された高度化成肥料・液肥は、全量住友化学工業株式会社が引取り、四国県下を初め全国に販売されている。

化学肥料製造事業へ進出

Future 私たちの未来に向けて進む姿勢

当社の原点は、従来であれば廃棄していたプラスチックの残渣(ざんさ)を、独自のアイデアで改良を加え、オリジナル製品を製造したことです。 創業からの68年の間、徐々に関連性のある事業を立ち上げ業容を拡大し、現在では多種多様な業界と取引を行っています。

これまで積み上げてきた基本を、おろそかにすることなく、品質管理などの強化を継続し、安定供給に励んでまいります。
一方で時勢の変化に追随した取り組みにも注力しています。 例えば、通常のプラスチック製品と比較して、耐久性に優れているプラスチックを用い、金属に代わる機能製品の開発を進めています。

また、難しい課題ですが、廃車になった自動車からプラスチック部品を選別して再びリサイクルする仕組みづくりに果敢にチャレンジしていきます。

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